勢いよく「攻城」をしておりますが、
ランニングをしないで、普通に通りがかったり、寄り道したりした場合
特に書くこともないので写真だけ撮っていました。
あと「城」と言ってもこの言葉の定義が意外と難しい。
「館」とか「陣屋」「砦」なども跡として残っております。この辺は平たくいえば規模の問題だと思います。
「屋敷」っていうのも歴史旧跡としては残っています。
例えば「世田谷代官屋敷」
世田谷代官屋敷
これは江戸時代の官僚邸ってことなのでしょう。
ここで血は流れていない。小競り合いの事件はあったかもしれませんが、「戦記」はないのです。私の「攻城」としては気持ちが乗らないのです。
とか言って、ちゃんと行っている訳です。
他にもココでまだ書いていない場所を羅列します。
油井城跡
「攻城団」がなければ先ず知ることができなかったレベルの城跡です。
推測ですが、子孫が相続で物納して、行政が手を予算がないので手を付けられない最中。そんなほっこり案件なのでしょうか。
詳しい説明はこちらのブログを見てください。改めて自分が撮影した写真をアップしたり記載するのが無意味に感じるほどしっかりとした説明があります。
騎西城跡
歴史ファンとしてはツッコミどころ満載ですが地元の方々はきっとコレが欲しかったのでしょうね。地元が求めたならしょうがないのですよ。
っていいうか、騎西城の写真撮りわすている。
立川氏館
この土塁が館の跡との事。
しかし、徐々にこうやって土塁を見るだけで、古城、城跡、旧跡のイメージを勝手に想像して楽しめるようになりました。
そして、これら写真を元に帰ってきてからネットでアレコレ調べるわけです。
更には足を伸ばして
谷保城跡
公園になってました。
というか、ここの道は普通に抜け道として使っていました。そんな場所だったんだ!?
しかも
御子孫が
普通に現在も生活されているので注意が必要です。すべてが一般公開されているわけではありません。歴史の継続性をしみじみと感じる次第です。